舞台となった年代。
瑠璃姫のいる「現代」は、いつ頃なのか調べてみました。
手がかりその一。地名。
作中に鴨川など京都の地名が出てくることから、京都に都があった平安時代ということは間違いありません。
しかし、この平安時代。794年から1185年の約400年の長さがあります。この約400年間のいつ頃の話なのでしょうか。
手がかりその二。書物。
そこで、作中に登場してくる書物に注目してみます。瑠璃姫はその書物をすでに読んでいるので、これらの書物が世に出た後が、瑠璃姫の時代だということになります。
では、それらの書物が書かれたのはいつでしょうか。調べてみると、
- 「伊勢物語」は905年ごろ
- 「蜻蛉日記」は974年から995年ごろ
- 「落窪物語」は990年から995年ごろ
- 「源氏物語」は1006年ごろ
に書かれています。
更なる手がかりはないかと読んでみると「更科の月」という言葉が出てきます。この「更科」という言葉。調べてみると「古事記」「日本書紀」を由来とする説と、「更科日記」を由来とする説があります。
「古事記」「日本書紀」説を採用した場合、瑠璃姫の時代は「源氏物語」が書かれた1006年ごろから、1185年の約200年間。
一方「更科日記」説を採用した場合、「更科日記」が書かれたのは1060年ごろ。60年ほどの違いしかありません。これ以上絞り込むのは無理そうです。
手がかりその三。史実。
そこで、今度は史実に注目してみます。史実では平安末期には前左大臣入道ならぬ、平氏が台頭してきます。しかし、作中には平氏らしき人物は登場してきません。
平氏が台頭してくるのは白河上皇による院政がしかれる1086年以降です。作中には院政をしいた様子がないため、それ以前ということになります。
そう考えると瑠璃姫の時代は1000年ごろから、院政がしかれるまでの1086年の約80年間ということになります。一気に時代が短くなりました。
手がかりその四。天皇。
更に絞り込むため、今度は鷹男は何天皇かという点で調べてみます。
瑠璃姫の時代が1000年ごろから1086年とすると、その時代の歴代天皇は、
- 986年~1011年、一条天皇、即位した年齢:7歳。
- 1011年~1016年、三条天皇、即位した年齢:36歳。
- 1016年~1036年、後一条天皇、即位した年齢:9歳。
- 1036年~1045年、後朱雀天皇、即位した年齢:28歳。
- 1045年~1068年、後冷泉天皇、即位した年齢:20歳。
- 1068年~1072年、後三条天皇、即位した年齢:34歳。
- 1072年~1086年、白河天皇、即位した年齢:19歳。
になります。
作中で東宮から天皇になった鷹男が一条天皇とは考えにくいので、それ以外ということになります。
そこで即位した年齢に注目すると、鷹男の年齢から推測して、後冷泉天皇か白河天皇ということになります。
後冷泉説を採用すると鷹男が即位した「なんて素敵にジャパネスク2」は1045年の話ということになり、このとき瑠璃姫は16歳か17歳であったことから、1029年か1030年生まれだと推測できます。
白河説を採用すると「なんて素敵にジャパネスク2」は1072年の話で、瑠璃姫は、1055年か1056年生まれになります。
作中の鷹男の父、光徳院の感じからすると、白河天皇説を採用したくなります。その場合先述の「更科の月」を「更科日記」由来とする説にも合致します。
作品は終了してしまいましたが、もし続いていれば、鷹男は数々の事件の反省を元に、退位後院政をしいたかもしれない。
と想像して楽しむのも一興ではないでしょうか。
補足。
ここでは天皇を基に時代を特定しましたが、他にも手がかりがあるかもしれません。
そこで色々調べてみると、瑠璃姫の父、藤原忠宗なる人物が二人も実在していることが判明しました。
一人は、850年ごろの人。「源氏物語」が書かれるずっと前。この人を瑠璃姫の父とするには無理があります。
もう一人は1087年から1133年の平安後期の人。平氏の台頭が作中で不可欠になります。この人もやはり無理があるでしょう。
一応1045年か、1072年という年号が特定したので、ここまでとします。
史実に縛られることなく作品を自由に楽しみたい方には、こういったこと自体、風情がないように思われるかもしれませんね。